ベック・ウェザーズ



ベック・ウェザーズ(Seaborn Beck Weathers 1946年12月生)
 [アメリカ・医師]


 ウェザーズは医師であるが、仕事での挫折からうつ病になり、それを克服するために登山を始め、アマチュア登山家として、世界の山々を登る。

 1996年、ニュージーランドのアドベンチャー・コンサルタンツ社のエベレスト営業公募隊に65000ドルを支払い参加することになる。探検家のスコット・フィッシャーとロブ・ホールが引率して、世界中のアマチュア登山家や日本人女性登山家・難波康子と共に5月10日に登頂を果たすというツアーで、いわゆる商業登山隊(ガイド3名・顧客9名)であった。

 予定通りの5月10日に登頂に成功。この時、難波康子は日本人女性で2人目のエベレスト登頂者、および七大陸最高峰の登頂者となった。

 しかし登頂を果たした時間は、引き返す約束の14時を1時間過ぎた15時であった。ウェザーズらのグループは下山中に夜になり、また激しいブリザードに巻き込まれ、標高7800mの第4キャンプから200m手前のサウス・コルでウェザーズら8名は立ち往生してしまう。まだ動ける3人参加者が第4キャンプまで戻り救援を呼んだが、助けに行ったのは、ガイドのアナトリ・ブクレーエフだけであった。ブクレーエフはウェザーズらの元にたどり着くが、比較的状態の良い3名を救助するのが精一杯であった。ウェザーズと難波康子は低体温症で動けない状態であったが、まだ呼吸をしていたとされる。ウェザーズは片腕を挙げた状態で雪の中に倒れていたので腕はそのまま固まってしまっていた。現場に残された二人は死亡したものと判断され、家族にもその連絡がなされた。

 しかし5月11日になってウェザーズは奇跡的に意識を取り戻し、顔や指に酷い凍傷を負っていたものの転倒を繰り返しながら自力で第4キャンプまで戻った。戻ってこれたもののウェザーズは回復の見込みは無いと判断されたが、彼は独力で標高6000mまで下山した。それを知った妻の活動により、彼はヘリコプターで救助され生還を果たした。彼は結局両手の指の殆どと鼻を凍傷で失った。

 この日のブリザードで、スコット・フィッシャーとロブ・ホールと難波康子を含む合計8名の死者がでた(エベレスト大量遭難)。

 ベック・ウェザーズは、深刻な凍傷に苦しんだが後ほど病理医に復職し、またこの遭難の前後を含めたエピソードをまとめた本を出版した。失われた鼻は形成手術で再建された。


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