棚橋弘至(たなはしひろし 1976年11月13日生) [プロレスラー] 岐阜県出身。高校時代はサッカーを経験。1995年に卒業後、一般入試で立命館大学法学部に入学。大学時代は学生プロレスサークルであるプロレス同好会に在籍。大学時代は学生プロレスサークルであるプロレス同好会に在籍。3度目の入門テストでようやく合格し、1999年、大学卒業後すぐに新日本プロレスに入門。同年10月10日、デビュー。 2001年5月18日、怪我から復帰した同期入門の鈴木健想と、タッグチーム「キング・オブ・ザ・ヒルズ」を結成。棚橋と健想で「タナケン」コンビと呼ばれ、ヘビー級のタッグ戦線を盛り上げる。 大会公式戦消化中の2002年11月28日、別れ話のもつれから交際相手であった当時タレントでテレビ番組ADだった原仁美にナイフで背中を刺されて重傷を負う。 プロレス番組のアシスタントとして出演していた原から、ファンレターを貰ったことをきっかけとして、親交が深まり肉体関係を結ぶに至ったという。ところが、事件の日、原のアパートにて、棚橋が他に彼女ができたことを告白し、今後は彼女とも原とも関係を続けたい旨を話した。その後、セックスを終え帰ろうとしたところ、台所にあったナイフで背部を2回刺された。棚橋はそのままスクーターで病院に向かったが、原は「私も死ぬ。一緒に死ぬ」とナイフを持ったまま、全裸で棚橋の後を追い掛けて、アパートから道路にまで飛び出しているところも付近の住人に目撃されている。 傷の状態は、背中の右側の傷が長さ、深さとも約3センチで先端は胸膜に達し、肋骨に当たって止まっていた。背中の左側の傷は、長さ約4センチ、深さ約5センチで傷の先端は肋骨の間を通り抜けて胸膜を貫き、肺まで達していた。緊急治療を受けて一命を取り留めたものの、人体の総血液量の約3分の1にあたる1.7リットルの血液を失い、一時は危篤状態に陥ったほどで、出血が続けば死亡する危険性があったという。 2003年6月11日、東京地方裁判所の判決公判では、原に懲役3年、執行猶予4年が言い渡された。 2003年、刺傷事件からの復帰した棚橋は、4月23日にU-30王座を、6月13日に吉江豊とIWGPタッグ王座を、11月30日に永田裕志とGHCタッグ王座を続けざまに獲得し、12月14日にIWGPタッグ王座から転落するまでの約半月間、3冠王となり大活躍をみせた。 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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