レジナルド・デニー



レジナルド・オリバー・デニー(Reginald Oliver Denny 1959年生)
 [アメリカ・トラック運転手]


 1991年3月3日、黒人男性がレイクビューテラス付近でスピード違反を犯し、ロス市警によって逮捕された。その際、20人にものぼる白人警官が彼を車から引きずり出して、装備のトンファーバトンやマグライトで殴打、足蹴にするなどの暴行を加えた。たまたま近隣住民が持っていたビデオカメラでこの様子を撮影しており、この映像が全米で報道され黒人たちの激しい憤りを招いた。この事件でビデオに映り身元が分かる白人警官3人とヒスパニック系警官1人の計4人が起訴された。裁判の結果、警官達の“黒人男性は巨漢で、酔っていた上に激しく抵抗したため、素手では押さえつけられなかった”との主張が全面的に認められ(実際はおとなしく両手をあげて地面に伏せた黒人男性が無抵抗のまま殴打され、医療記録によるとあごを砕かれ、足を骨折、片方の眼球は潰されていたとされるが、裁判では認められなかった)、事件発生から1年経過した1992年4月29日に陪審員は無罪評決を下した。

 実は、黒人男性が暴行された13日後となる1991年3月16日、万引きしたと間違われた15歳の黒人少女が、韓国系アメリカ人の女性店主に背後から頭部を撃ち抜かれ射殺される事件が発生していたのである。女性店主は逮捕され、事件の判決は同年11月15日に出された。しかし、陪審員は16年の懲役を要求していたにもかかわらず、判決は5年間の保護観察処分、およびボランティア活動400時間、罰金500ドルという殺人罪としては異例に軽いものであった。この判決は黒人社会の怒りを再び煽ることとなり、無実の黒人少女を射殺するというこの事件により、黒人社会と韓国人社会間の軋轢は頂点に達していた。

 1992年4月29日、ロス市警の警官への無罪評決が下されたこの日、評決に怒った黒人たちが手の付けられない暴徒と化し、ロサンゼルス市街で暴動(ロス暴動)を起こして商店を襲い、放火や略奪をはじめた。

 この暴動が勃発した初日、ロサンゼルス市内をトラック輸送仕事でいつも通り走行していた白人トラック運転手、レジナルド・デニーはフローレンス通りとノルマンディーアベニューの交差点で信号待ちをしていた際、主に若者を中心とした暴徒化した黒人らにキャビンから引きずり出されて暴行を受けた(デニーのトラックはラジオを備えていなかったため、暴動が起こっていることを知らなかった)。

 デニーは情け容赦なく殴る蹴るの暴行を受け、コンクリート塊でこめかみを強打され、気絶して倒れたところ頭部に数十キロの鉄の塊を投げ落とされたり、ビール瓶を投げつけられた。この様子は地元TV局の取材ヘリから空撮されており、この衝撃的なシーンは幾度となく繰り返し全米にTV放送され、彼はロス暴動におけるもっとも著名な被害者となった。暴行を受けた後、彼はTVニュースでその暴行のライブ中継を見ていた地域住民の黒人によって助け出され、病院で開頭手術などを受け一命を取り留めた。

 主な襲撃目標となったロス市警は自らを守るだけで手一杯の状況となり、暴動を取り締まることはまったくできなくなっていた。その証拠にデニーの集団暴行がライブ中継された最後まで警察は現れる事はなかった。この時、ロス市警は現場に黒人警官のみを行かせるよう編成をしており、現場近くにいた白人オフィサー達には「現場に近づくな」との命令が通信司令を通して発せられていた。

 もうひとつの主たる襲撃目標となったのが韓国人商店である。襲撃による被害額の半分弱が韓国人商店のものであるともされる。韓国人商店主らが防衛のために拳銃を水平発射しているシーンも幾度となくテレビにおいて放映された。ちなみに彼ら韓国人店主らの多くはベトナム戦争の帰還兵だった。ベトナム戦争に参加した韓国人帰還兵に米国政府が移住許可を与えたため、70年代に韓国系移民が4倍も増えた。彼らは主に競合相手のいない黒人街で商売を始め、従業員には黒人でなくヒスパニック系を雇い、閉店すると店を厳重にガードし、そそくさと韓国人街へ帰るというスタイルで商売していた。黒人の間では「自分達を差別しながら商売する連中」というイメージが定着し、そうした黒人による日頃からの韓国系への鬱憤が、暴動時の韓国人商店襲撃へと結びついたといわれている。

 暴動鎮圧のために州兵は元より、4000人を超える連邦軍(陸軍、および海兵隊)部隊までが投入され、さらには司法省が、公民権法違反容疑でのFBIによる再捜査をアナウンスするなどの努力によって、6日間に渡った暴動はようやく収束を見た。

 暴動による被害は死者50〜60人、負傷者約2000人を出し、放火件数は3600件、崩壊した建物は1100件にも達した。被害総額は8億ドルとも10億ドルともいわれる。韓国人街は市警が暴動鎮圧に消極的だったと厳しく非難した。また彼らは『無実の我々が犠牲を強いられた責任は市当局にある』と述べた。

 この事件での逮捕者は約1万人にものぼり、そのうち42%が黒人、44%がヒスパニック系、そして9%の白人と2%のその他の人種が含まれていた。これは当時のロサンゼルスの人口比率とほぼ同じで、最終的には黒人による暴動というよりは、街を挙げての略奪騒ぎになったと考えられる。


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