50セント



50セント(50 Cent 本名:カーティス・ジェームズ・ジャクソン三世 1975年7月6日生)
 [アメリカ・ヒップホップMC/企業家]


 ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区ジャマイカ地区出身。母親はドラッグ・ディーラーで、彼を15歳の時に生んだ後、彼が8歳の時に何者かに殺害された。父親はおらず、その後は祖父母に育てられた。12歳の時に麻薬売買を始め、ドラッグ・ディーラーとして名を馳せるも、息子の誕生を機にラップを取り組み始めた。1996年、友人の紹介によりRun-D.M.C.のジャム・マスター・ジェイ主催のレーベルJMJと契約し、ラップの基礎を学ぶ(それまで50セントは小節の数え方や、コーラスの作り方などを知らなかった)。

 1999年にはトラックマスターズに見いだされコロムビア・レコードと契約した。シングル『How To Rob』では、駆け出しのラッパーが有名なラッパーからいろいろなものを奪っていくという内容が大いに受け、またその曲にJay-Z、ビッグ・パンなどといった著名ラッパーが反応した為にそこそこのヒットとなる。コロムビア・レコードでは、シングル3枚EP1枚を発表したが、2000年4月に祖母宅前で銃撃事件に巻き込まれたことから、レコード会社がトラブルを恐れ彼との契約を解除し、アルバム『Power Of The Dollar』はお蔵入りとなってしまう。

 なお、この銃撃事件で、彼は顔を含む全身に計9発の銃弾を至近距離で被弾し瀕死の重傷を負ったが奇跡的に一命をとりとめた。その影響でその後声質が変わっている。真偽のほどは不明だが、50セントの殺害を試みた首謀者がケニス・スプリーム・マクグリフという人物ではないかと疑われている。マクグリフはニューヨーク市の麻薬取引の親玉であり、ザ・インク・レコーズの代表を務めるアーブ・ゴティの幼馴染である。当初から50セントとマクグリフは険悪な関係にあることで知られていた。

 50セントは、この事件がきっかけでアメリカのレコード会社のブラックリストに載ってしまい、アメリカでは仕事が見つけられなくなってしまった。そこで新しいビジネスパートナーとしてシャ・マニー・XLを迎え、カナダに渡り30曲あまりの曲を録音し、2001年に仮のLPである『Guess Who's Back』を単独でリリース。それと平行して、自らのグループGユニットと共にミックスCD『50 Cent Is The Future』を制作した。
こうした活動の結果がエミネムの目にとまり、彼のレーベル、シェイディー・レコードとドクター・ドレーのレーベル、アフターマス・エンターテインメントとの共同契約を果たす。その後すぐにミックスCD『No Mercy, No Fear』を発表。その中に収録された「ワンクスタ」がラジオでヘビープレイされ、ストリートの支持を獲得。満を持して1stアルバム『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』をリリース。「イン・ダ・クラブ」、「21クエスチョンズ feat. ネイト・ドッグ」等がヒットし1100万枚ものセールスを記録した。


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