大谷正美



大谷正美(おおたにまさみ 1949年生)
 [トニー谷の長男]


 1955年7月15日、人気芸人のトニー谷の長男(当時6歳)が下校途中に誘拐される。この時、犯人は新聞社の者と名乗り、「写真を撮ってあげる」と誘い出した。同級生から、連れ去ったのは黒い服の中年の男という証言が得られた。

 7月16日午後、誘拐犯から身代金200万円を要求する脅迫状が速達で届くと、事件発生とともにマスコミは大スターの子息が身代金目的で誘拐されたとして大々的に報じた(当時は報道協定がなかった)。トニーは記者会見で芸人としてのギミックを一切かなぐり捨て、悲しみに暮れる一人の中年の父親の姿を報道陣の前に見せ、「正美よ、早く帰ってきておくれ」「できるだけのことはするから正美を返してください」と息子を返還するようカメラの前で号泣しながら犯人に呼びかけた。

 しかし当時、芸人仲間の多くがトニーを信じず「これは事件などでなく、話題作りのためにトニー自身が引き起こした狂言誘拐だ」として冷ややかな目で見ていた(実際は狂言誘拐などではなく、本当に起こった誘拐事件だった)。

 トニーの自宅には連日マスコミや野次馬などが集まり、心無いイタズラ電話もも頻繁にかけられる中、7月21日の午後8時半頃に誘拐犯から身代金の準備に関する確認の電話が入り、トニーはこの電話を本物の犯人からだと直感。犯人が身代金の受け渡し場所を指定すると、トニーは自分が身代金の受け渡し現場まで行くと話し、トレードマークだった髭まで落として変装したが、刑事が家人に扮して犯人を待つことになった。

 夜10時頃、身代金受け渡し場所に「トニー谷か」と声をかけてくる男が来た。刑事は別の場所に移動した上で人質を預かっている証拠を提示するよう求めると、男はランドセル、教科書などを提示。真犯人と見た刑事はさらに別の場所に連れ歩いて共犯がいないことを確認してから逮捕した。長男は長野県の犯人の家に(犯人の)子供と一緒にいることが確認され、無事救出された。東京喜劇人協会の会長だった榎本健一はトニーの自宅に行ってトニーを激励し、トニーの家族とともに解放を喜んだ。

 犯人は長野県の雑誌編集者(当時33歳)で、地元で雑誌の発行を計画していたが、資金がなかったためにリンドバーグ事件にヒントを得て身代金誘拐を企てた。犯行の動機について「トニー谷の、人を小バカにした芸風に腹が立った」と語り、事前にとある雑誌でトニーの長男の写真を見ていたため、顔を知っていたことで事件を実行に移していた。誘拐後、自分の家に連れ帰ってからも夕方になるとトニーの長男が寂しがるので温泉などに遊びに連れていったりしていた。

 世論は、トニー本人の悪役キャラクターに由来する反感が事件の原因となったという論調が支配的となった。トニーは被害者であったが、マスコミによって出自・前歴など秘密にしていた部分の多くを徹底して暴かれ、メディア不信に陥いる。さらには「誘拐の真因はトニーが世間から嫌われることをやっていたからだ」という論調でジャーナリストなどからも非難され、この事件を境にトニーの人気は凋落する。折しもラジオ中心の時代からテレビの時代への過渡期でもあり、仕事は激減し、東宝との専属契約も打ち切られた。

 トニーは、犯人に自分の長男と同年齢の子供がいることを知り、洋服や文房具などを送った。生活苦の犯人の妻子の面倒を見たりもしたという。

 1957年5月23日、犯人は最高裁での口頭弁論に出廷した帰りに、新宿駅構内の喫茶店で睡眠薬自殺を企るが未遂に終わる。6月4日、犯人に懲役3年の判決が確定した。


<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ