禹範坤



禹範坤(ウ・ポムゴン 1955年2月24日生)
 [韓国・大量殺人犯]


 57人(55人、56人、61人などの説もある)を殺害、35人に重軽傷を負わせた事件を起こした犯罪者である。これまでの記録を保持していた津山事件を抜いて世界最大の短時間大量殺人犯としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている。

 禹範坤はもともとソウル市内で勤務する警察官であったが、慶尚南道宜寧郡という田舎町に左遷されていた。さらに、2ヶ月ほど女性と同棲していたが、結婚資金が貯められないために結婚式を挙げることができなかった。

 1982年4月26日、警察官である禹範坤は酒によって帰宅したところ同棲していた女性が禹の胸に止まったハエをとるために叩いたことがきっかけとなって口論になり、警察署へ戻ると武器庫に入り込んでウイスキーを多量に飲み泥酔状態となった。そして午後9時30分頃、武器庫からM2カービン銃2丁と実弾180発、手榴弾7発を持ち出した。

 禹範坤は、まず警察署の近くにある電話局に押し入って交換手3人をカービン銃で射殺した。その後に路上に飛び出して近隣の5つの集落の家々を次々に回り、手当たり次第に家人に対してカービン銃を乱射し、また閉店前の市場など人の集まる場所に手榴弾を投げ込み、爆発で驚いて表へ飛び出してきた人達に対してカービン銃を乱射して次々と村人を射殺した。 結局、禹範坤は翌日の午前2時頃まで付近一帯をカービン銃を乱射して回り、虐殺の限りを尽くして5集落合計56名の人々を殺害した。

 禹範坤がまず最初に電話局に押し入って交換手をカービン銃で射殺したのは外部との連絡を取れなくする為であり、実際このために外部への連絡が遅れて、この無差別大量殺人の一報が外部に伝わったのは、事件発生後1時間以上も経った午後10時40分だった。そして武装警官が被害の発生した現場へ到着したのは、さらに遅れて午後11時50分頃だったが、この時には既に禹範坤は付近の集落での殺人をほとんど終えた後であり、警察の対応は完全に後手に回ったかたちとなってしまった。

 武装警察隊が到着したのち禹範坤は武装警官により山に追い込まれた。日付が変わって4月27日午前5時30分頃、禹範坤は残りの手榴弾2発の安全ピンを抜くと、最後の犠牲者となった人質3名を抱きかかえて自爆した。

 現職の警察官による大量殺人、現場警察の支署長が遊興で不在による初動の遅れなどで、韓国国内では全斗煥大統領や内閣の総辞職を求める声も上がった。最終的に内務部長官が辞任し、後任として盧泰愚が就任した。

 1982年4月27日死去(享年27)


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