シャナ・グラント



シャナ・グラント(Shauna Grant 1963年5月30日生)
 [アメリカ・ヌードモデル/ポルノ女優]


 カリフォルニア州生まれ、ミネソタ州ファーミントンの小さな町で育った。1981年にファーミントン・ハイスクールを卒業した後も地元にとどまり、事務として電話会社で働いた。12月のある夜、彼女は少量の処方副鼻腔炎薬錠剤を用いて狂言自殺を図った。彼女の自殺未遂のニュースが流れると、彼女はハイスクール時代の恋人を伴い、両親や兄弟と3人の姉妹を残し、1982年3月、カリフォルニアへ逃げるように移住した。

 二人は、ロサンゼルスに到着し、職を探したが、ヌードモデルの新人募集広告を見るまで、殆ど職を見付ける事が出来なかった。彼女の最初のグラビアはクラブ誌に掲載される事になった。彼女の健康的で「隣の女の子」的なルックスは、すぐに他の雑誌の仕事を彼女にもたらした。しかし、カメラマンのスティーブン・ヒックスは彼女に早くヌードモデルの世界から足を洗うよう勧めた。全ての雑誌が彼女を起用した後には、ポルノ映画しか残される道が無いと知っていたからである。

 しかし、程なく彼女は「ハードコア」の写真撮影へと進んでいく。彼女のボーイフレンドがアメリカ陸軍に入隊すると同時に、カリフォルニアでの関係は2ヵ月で終わりを告げた。入隊式の前に、彼は彼女がポルノに関与していたというニュースを広めた。これは彼女の町にもすぐに到達し、彼女の家族を大いに当惑させた。

 ヒックスのアドバイスを無視して、彼女はヌードモデルとして働き続け、彼女のポルノ映画歴は開始された。この時に「シャナ・グラント」という芸名にした。多くの映画に立て続けに主演し、彼女のギャラは1日につき300ドルから、1500ドル近くまで跳ね上がった。私生活では、彼女はリムジンで旅行し、一流のホテルに宿泊した。シャナは、27歳のローリー・スミスという専属のメークアップ・アーティストを従えていた。彼女はシャナの親友になり、仲間内でのコカインパーティーの共犯者でもあった。

 シャナの人気は、1984年3月のエロチック映画賞で3つの賞にノミネートされる程であった。その美貌にもかかわらず、コカイン中毒やセックスシーンでの彼女の「熱意」の不足は、彼女が仕事を続けるにあたり若干の障害となった。一部で、彼女は「アップルコーク Applecoke 」というあだ名で呼ばれ、変人という評判を得ていた。

 1983年、シャナは1年未満で30以上の映画に出演した後、ポルノ映画界を引退した。彼女は44歳でコカイン・ディーラーの新しいボーイフレンド、ジャック・エールリックを得た。エールリックはポルノ映画から彼女を引退させ、2人はカリフォルニア州パームスプリングスに落ち着いた。エールリックは近所の高級分譲マンション地区の居住者にコカインを供給して生計を立てていた。彼は、カリフォルニアで麻薬売買、盗まれた資産の所有権の売買などの罪で多くの逮捕歴があった。1984年2月、エールリックは逮捕され、5年の禁固刑を宣告された。

 ココナッツグローブ・アンバサダーホテルでの第8回年間エロチック映画賞の夜、彼女は複数のノミネート候補者で、プレゼンターでもあった。その夜、彼女は10ヵ月ぶりにポルノ映画に取り組むことに同意した。映画『Matinee Idol 』は、サンフランシスコで8日間の撮影を開始する予定であった。

 数日後、エールリックは刑務所からシャナに二人の関係が終わった事、彼女が家を出て行かなければならない事を告げる電話をかけている。シャナは、彼女の役を引き受けてくれるよう、友人でありベテランのポルノ女優であるケリー・ニコルズに頼んだ。シャナにはミネソタに戻る選択肢もあった。シャナの両親は、彼女の大学の学費を払うと申し出たが、彼女はミネソタの自宅がもはや落ち着ける場所ではないと思っていた。

 1984年3月21日、シャナはパームスプリングスにおいて、22口径ライフルで自らを撃ち自殺した。午後7時を少しまわった時刻に、彼女は横になって水平に銃を頭に押しつけ、引き金を引いた。警察の発表によると、弾丸は彼女の右から左のこめかみを貫通し、寝室の壁にめり込んでいた。銃は弾丸が左のこめかみに星型の射出孔を穿つほどの近距離から撃たれた。シャナは脳死状態で病院に急送され、2日後に生命維持装置が外された。

 1984年3月28日、ファーミントン中心部に近いカトリック教区の聖マイケル教会で、シャナの葬儀が行なわれた。ポルノ関係者は、彼らの存在が家族の苦悶を増すだけだと考えられたため出席せず、代わりに花と手紙を寄贈した。シャナは彼女の大好きな色であるピンクに包まれ埋葬された。

 パームスプリングス警察による事前捜査において、シャナの死を巡る状況について聞き込みが行なわれた。事件から数週間経た時点でも、警察はまだ毒物反応、銃の残留物の検査結果を待っていた。殺人事件の可能性については、予断を許さない状況であった。シャナが彼女のボーイフレンドの商売に関して脅迫電話を受けていた事が知られていた。また、刑事はエールリックが当局に情報を提供することにより、しばらくの間刑務所収監を回避していた点に注目した。シャナが死んだ時、エールリックの家のプールで遊んでいた2人の人物がいた。シャナの友人、ブレンダ・ローズナウとエールリックの友人、キャル・アルディゴである。シャナの死の直前に、2人の正体不明の訪問客が家の外に現れた。エールリックの家の裏口から、寝室のシャナに接近出来ると考えられた。

 1984年3月21日死去(享年20)


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